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92年に訪れた最大の屈辱 85年に日本一を遂げた後も、岡田はチームリーダーとして働いた。ただ、フル出場が信条だったバットマンにも、次第に力の衰えが見え始める。最大の屈辱となった日が訪れた。 中村勝広が3年目の指揮を執った92年4月25日、ナゴヤ球場での中日戦。1点リードの5回1死満塁。この試合、岡田は5番から7番に降格されていた。先発でクリーンアップを外れたのは、6番に下げられた84年9月23日巨人戦以来。これだけでもプライドは傷ついた。その上、この絶好機に、中村から代打に亀山努を告げられた。 ベンチは静まり返り、ネット裏の記者席は騒然となった。引退後、タレント活動をする亀山は「僕自身も驚いた。右太もも肉離れでテーピングしてたし、まさか岡田さんの代打だとは思わなかった」と振り返った。代打を送られたのは91年9月21日大洋戦(甲子園)以来だったが、この時は5点リードの9回で状況が違った。試合も序盤で、勝負のかかる場面での代打は初めてだった。投ゴロでベンチに戻った亀山が「すいません」と頭を下げると、岡田は「お前のせいやない」と答えている。 シーズン17試合目でチーム10勝に到達。13試合でクリアした76年以来、16年ぶりの4月10勝でチームが加速する中、ただ1人、岡田にはモヤモヤしたものが残った。試合後、名古屋駅近くのホテルに帰った岡田は荒れに荒れた。 その夜、岡田の自室にはベテランを含めた選手、チーム関係者の数人が集まった。酔いも手伝って、岡田は代打を出されたことに不満をもらし、その場にいた者に当たり散らした。その時、主力だった中西清起(現投手コーチ)が口走った。「プロなんだから、打てないのは岡田さんが悪い!」。当然のことを言われると、目をひんむいた岡田は、飲み残した灰皿代わりの缶ビールを、中西に向かって投げつけた。岡田本人ではなく、関係者も暴れた。勢い余って部屋のドアを蹴りまくって破損させ、後に球団はホテル側から50万円の修理代を請求された。 92年は新庄剛志、亀山ら若手台頭でチームは優勝争いを演じた。世代交代の狭間で決断を迫られた中村とは早大の先輩後輩だったが、ここから溝ができた。2人を知る吉田義男は「岡田も将ともなれば、勝(中村)の気持ちも理解してくれると思う。今後の勝負ではもっと厳しい決断を迫られる。それを乗り越えていってほしい」といった。翌93年オフには戦力外通告を受け、それにとんでもない“事件”が絡んだ。(敬称略) 【編集委員・寺尾博和】 2003年11月5日付紙面掲載 (日刊スポーツ) http //osaka-nikkan.com/lib/otr/03ren/tanjo08.html
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登録日:2017/10/01 Sun 09 24 04 更新日:2024/04/13 Sat 13 55 45NEW! 所要時間:約 8 分で読めます ▽タグ一覧 お人好し コーヒー トラブル体質 フライトジャケット 亀ちゃん 亀山薫 人情家 何故かなかなか立たなかった項目 出戻り 嘱託職員 国賓←だった 寺脇康文 巡査部長 新潟県 日本警察 歴代相棒項目 熱血漢 特亀 特命係 特命係の亀山ぁ~! 生活安全課 生活安全部 相棒 相棒登場人物項目 肉体派 能天気 警察 警察官 警視庁 何年、あの人と相棒やってると思ってるんですか 亀山薫とは、テレビドラマ『相棒』の登場人物である。 演:寺脇康文 人物 警視庁特命係所属。階級は巡査部長。 1966年7月23日生まれ。 MA-1をはじめとしたフライトジャケットとワークパンツをいつも着用しており、制服姿やスーツ姿になる事は少ない。上司の杉下右京曰く「背が高く、精悍な顔立ちの刑事」。 実家は新潟県で造り酒屋を営んでいる(本人は家を継ぐ気は無い)。ちなみに一部データでは本籍は愛媛県松山市となっていたが、これは担当係官の入力ミスであるとのこと。 勇と正枝の間に生まれた長男で、姉が3人いる(うち一人は登場した)。また勇は市議会議員で地元の名士としても知られている。あだ名は「亀ちゃん」。右京からは「亀山くん」、美和子からは「薫ちゃん」と呼ばれている。 S4のラストで大学時代から付き合っていたフリージャーナリストの奥寺美和子と結婚した。 考えるより先に体が動く肉体派の刑事。 かつては捜査一課の刑事として活躍していたが、ある事件(後述)で失態を犯した事で「陸の孤島」と呼ばれる特命係へ左遷される。 初期の頃は正反対の性格である右京とよく衝突していたが、徐々に彼の考えを認めるようになり、いつの間にか彼の良き相棒となっていた。 長年特命係に在籍し、現在でも唯一無二の「頭脳労働が不得手な相棒」という点から人気が高く、今でも右京の相棒と言えば薫と答える人は多く、S21にて再登場する事が発表されるまでは彼の再登場を望む声は絶えなかった。 コーヒー党で、特命係にコーヒーメーカーを持ち込みそれでよくコーヒーを飲んでいた。ちなみに現在あるコーヒーメーカーは二代目(S14で壊れてしまったので、同型のものが角田六郎から贈られた)。 ちなみに異動直後は右京への反発もあって缶コーヒーを飲んでいた。 嫌いなものはひじきとアンパン。元喫煙者。 当初は世田谷区松原のマンションに住んでいたが、一時的に250坪の洋館に住んだ事がある。その後「シティハウス青山」というマンションへと引越し、美和子と結婚後もそこで暮らしていた。 海外移住に伴いそこも引き払ったが、帰国後はまた別のマンション住まいとなっている。 右京に負けず劣らずトラブル体質で、ジョギングをしていただけで2回も事件に巻き込まれた事があり、 右京からも「君のジョギングは考え物」と苦笑されている。 S21-3では出戻りも早々に殺人容疑をかけられ逃げ回る羽目になった。 性格 曲がった事が大嫌いな熱血漢で人情家。おまけに単純で分かりやすく何でも信じてしまうお人好しな性格。 会ってすぐの右京にも「人柄はよさそうですが、すぐに頭に血が上るタイプですね。しかし一方であの能天気さは評価できます」と看破されていた。 口が軽く、事件の情報をついうっかり他人に漏らす事もある。ウソをつくのが苦手で、ウソをついてる時には思わず敬語となるため、すぐにばれてしまう。 行動力はあるが、一度思い込んだら深く考えずに突っ走ってしまう困ったところがある。 面倒見はよく、人情に厚い。関わった事件で犯人に自首を勧めたり情を訴えたりする事も多く、周囲からも慕われている。 時には法を頑なに遵守しようとする右京に柔軟な解決法を提案する事もあり、ある事件では「君がいつもそばにいてくれて助かりますよ」と評価された事がある。 子供の扱いに長けており、会ってすぐの子供とも意気投合し、「亀」と呼ばれて懐かれていた。 また女児からゲイバーのママまで幅広く異性(?)にもてるが、学生時代から美和子一筋であったため、恋愛経験はそれほど豊富ではない。ちなみに苦手なタイプはピンヒールにスーツで決めたような頭のいい美人。 彼の人柄の良さは右京も認めており、特に真っ正直で人情家なところを高く評価されている。 一人称は基本的に「俺」。(*1) 能力・特技 大学の法学部を卒業しているがスポーツ推薦で入っているため頭を使うのは苦手。 一般常識がやや怪しく、シェイクスピアの作品「リチャードⅢ(さんせい)」を「リチャードスリー」と読んだり、「ズッキーニ」を「キュウリ」と言ってみたり、小学生レベルの知識である島根県の県庁所在地を間違えて「松山市」と覚えていた(正解は松江市)。 そのため、それを見かねた角田に「これで勉強しなおせ」と一般常識に関する本を貰った事がある。 子供の頃は虫博士と呼ばれており、今でも昆虫の生態にはかなり詳しい。その知識量は右京をも上回る。 非常に敏感な味覚と嗅覚を持っており、あまり食べた事のないキャビアをひと口食べただけでベルーガでない事を見抜き、よほどの舌を持つ人ではないと分からないというウイスキーボトルの窒素混入の有無にもすぐに反応する。 超一流のソムリエからも、知識さえ伴えば一角のソムリエになれると絶賛されるほど。 この能力が事件解決に役立った事は多く、右京に「君の舌は時として君自身より有能ですねぇ」と誉められた(?)事もある。ちなみに美味しすぎるものを食べると思わず無口になる。 勘が非常に鋭く、神がかり的な山勘で右京の推理をサポートして事件解決に貢献している。また人間観察能力も優れている。 霊感もあり、女性の幽霊を目撃した事がきっかけで死体を見つけた事がある。ちなみに幽霊に会いたがっている右京に羨ましがられた事も。 推理力は高くないが、スポーツ推薦で大学に入っただけに運動神経は抜群。 劇場版ではその身体能力で護衛対象を守り抜いた事で、警視庁警備部への栄転も囁かれていた。ちなみに剣道以外の事なら、ライバルの伊丹憲一に何一つ負けた事がないらしい。 だが一方で護身術には長けていないので武道を嗜む相手には手玉に取られ、不覚をとって犯人に人質にされる事も多々あり、時には入院レベルの負傷をする事も少なくない。 ドライブテクニックはなかなかのもので、右京からも「君の運転は心地いい」と高評価を得ていた。 片付けは苦手で、彼のデスクの上は常に荒れ放題である。 また、頭脳面は不得手なエピソードも多いが、 その一方で 時効を迎えた殺人犯が何の反省もしていないことに憤った際、あえてその男性に暴行を加える事で、自分を訴えさせてその男の名と過去の罪を合法的に暴露しようとするなど 意外に頭の回転が素早いと思われる描写も少なくない。 (結果的にその策は見破られてしまった上、その直後に本人の配慮不足で大変なことになってしまったが…) 経歴・右京との関係 県立阿賀野東高校を卒業後は、スポーツ(野球)特待生として城東大学法学部に進学。 卒業後は警察官採用試験を受け、所轄署勤務を経て、警視庁刑事部捜査第一課に栄転し活躍していた。 だが、指名手配犯を捕まえようとして逆に人質になるという失態を犯してしまったがために(現実には犯人の人質になった程度で左遷されることはない)、事件解決後に生活安全課特命係に左遷された(プレシーズン1)。 当初は何を考えているか分からない右京を理解できず何度も反発していたが、徐々に彼を「俺の相棒」と認め、上司として尊敬するようになる。 机の前には右京の教訓を書いた「教訓memo」をたくさん貼ってあり、日々それを眺めながら職務に当たっている。 また右京が違法スレスレの捜査を行っても、「そうしなきゃならなかった事情がある」と彼の事を信じぬく意思を見せた事もある。 左遷された当初は手柄を立てて捜査一課に戻ろうと考えており、右京を「相棒」と認めてからも、シリーズ初期ではは伊丹の「特命係の亀山ぁ〜」という言葉にムキになる場面も見られた。 しかし、右京と長く行動を共にするうちに特命係としての現状に満足するようになり、伊丹の言葉を軽く流す余裕を持つようになった。 同様に捜査一課に対する心情も変化し、一課がさじを投げた事件を解決する事で一課の鼻を明かそうとしたり、職務違反を覚悟で真実を追求するようになっている。 ちなみに「特命係ってどんなことをする所なんですか?」と質問された時には、「秘密兵器みたいなものですか?」という意見に「それ!」と賛同していた。 S1の最終回で一時的に警察庁長官官房付として警察庁に出向。その後は特命係廃止に伴い右京とのコンビが解散し、運転免許試験場へと異動になる。 S2で特命係が復活し再びそこに戻るが、S3-1で麹町東署捜査一係へ異動。S3-5で右京の免職が撤回されると共に特命係に復帰した。 S5の最終回では懲戒免職になりかけるが、右京の機転によりこの危機を脱した。 そしてS7では、ある事件に関わった事で彼に人生の転機が訪れる事となる…… 人生の転機、そして辞職へ S7-1にて、高校時代の友人・兼高公一が殺害される事件に関わり、捜査のために兼高が活動していた東南アジアの国・サルウィン共和国を訪れる。 そこで目の当たりにしたのは、政府をはじめとした様々な組織が腐敗しきったサルウィンの現状と、不安定な情勢の影響で貧困にあえぐ国民の姿であった。 事件を通じて、兼高がサルウィンでNGOのボランティア活動をしていた事を知ると、これがきっかけで兼高の遺志を継ぎたいと思うようになる。 そしてS7-9で警察を辞職してサルウィンへの渡航を決意。サルウィンの子供達に正義の精神を教えるために美和子と共に移住した。 特命係を離れる時には散らかっていた机の上を綺麗に片付け、今まで世話になった右京にも頭を下げる。そして右京から差し出された手を強く握り締めて特命係の部屋を去っていった。 この時に右京から「どうか気をつけていってらっしゃい。以上です」と彼らしいはなむけの言葉を送られている。ちなみに薫以前に右京の下についていた部下6人が特命係を去る時には、握手どころか何の言葉も残さなかったらしい。 サルウィンでは奉仕活動の他、兼高が生前に作った小さな学校にて、現地の子供達に日本の事や正義の精神を教える日々を送っていた。 帰還、再び特命係に 2021年冬、当時放送されていたS.20をもって四代目相棒・冠城亘(演・反町隆史)が卒業することが発表されると、ファン達や各種芸能メディアの間では、翌年秋のS.21から参加する「五代目相棒」のキャスティングについて様々な憶測・予想が飛び交った。 その後、2022年6月23日にキャスティングが公式に発表されたのだが、その内容はファンたちの度肝を抜いた。 …その内容とは、『初代相棒・亀山薫が再び右京の“相棒”として帰ってくる』というものであった。 この発表を受け、Twitterでは薫や相棒シリーズの関連ワードが続々とトレンドに浮上。 相棒シリーズ公式アカウントから投稿された薫の復活の発表ツイートにも、25万個という(テレビドラマの公式アカウントとしては)前代未聞の数の「いいね」が寄せられるなど、往年のファンを大いに沸かせたのであった。 そして、S.21-1にて薫が約14年ぶりに登場。 薫の教え子たちがリーダーとなってサルウィンで反政府革命が発生し、腐敗政権が打倒された。その際の海外ニュース映像に薫も映り込んでおり、ネットでこの動画を見た伊丹・芹沢を絶叫させている。 その後、この教え子達が親善使節団として日本を訪れることとなり、恩師である薫もその一員(※国賓扱い)として一時帰国することが決まると、自ら右京に招待状を送って使節団の歓迎パーティー会場に呼び寄せ、再会を果たした。 しかし、旧交を温める暇もないままに、薫を含む使節団関係者たちに対して「要求を飲まなければ、彼らの家族が乗ったサルウィンからの後続便を爆破する」という脅迫文が届き、事態を解決すべく国賓の立場を乱用しつつ右京と捜査に乗り出した。 紆余曲折ありながらも、二人は事件の真相を暴くことには成功したものの、その真相は日本とサルウィンの外交関係に大きく影響するものだった。この結果、薫は美和子ともども新たなサルウィン政府から「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」として国外追放されてしまい、再び日本で暮らさなくてはならなくなった(*2)。 そんな状況の薫を見かねた伊丹は、いつものように憎まれ口を叩きつつも「その気になりゃあお前一人くらいいくらでもねじ込める」と、自分の力で薫を警視庁に復職させることを約束する。「その気になった」伊丹が取った手立てとは、伊丹が峯秋に全身全霊で土下座することであった。 そんな伊丹の尽力と、それを受けた峯秋の根回しにより、薫は捜査権のない嘱託職員ながらも警視庁に再就職し、再び特命係に配属されることと相成ったのであった(S.21-2)。 それからしばらくの間は事件現場に入るにも職務質問するにも右京と一緒でなければならない日々が続いていたが、過去に右京と因縁ができていた代議士・袴田茂昭と事件を通して交流した際、人物評を改めた彼の根回しにより「警察官再雇用制度改正のモデルケース」として再び警察官として働くことを許された(S.21-11) 主な人間関係 杉下右京 特命係にいた頃の上司で良き相棒。 薫との関係は上記を参照。 薫が去ってしばらく後のS12-1で、不審な人物の家を訪ねた際に、人違いのふりをして「亀山薫君では?」と薫の名前を出した。 亀山美和子 フリージャーナリストで薫の妻。旧姓・奥寺。 薫とは同じ大学の出身で、その頃から付き合っていた。一時別れた事もあったが紆余曲折を経て結婚する。薫の事を「ちゃん」付けで呼んでいる。 薫は亭主関白を気取っているが、実際は彼女の尻に敷かれている模様。 特命係とよく情報のやりとりをしている。 伊丹憲一 捜査一課の刑事で「トリオ・ザ・捜一」のリーダー格。 薫とは同期の間柄で、彼が捜査一課にいた頃からのライバル。よく薫に「特命係の亀山ぁ~」などと言っては子供のような意地の張り合いをする。 結構似たもの同士で、時には息のあったコンビネーションを見せる。 薫が特命係を去る時にもいつものように憎まれ口を叩きあっていたが、去り際には「とっとと行けよばかやろう」と彼らしい言葉で薫を見送った。 S.21で「元・特命係の亀山ぁ〜⤴」と国賓だった亀に言ってみせた。 その後のドタバタで日本に帰国せざるを得なかった薫を警察に復職するきっかけを作った。 芹沢慶二 捜査一課の刑事で「トリオ・ザ・捜一」の一員。 薫の後輩でもあり、薫に無理やり捜査情報を聞かれる事がよくある。薫に情報を漏らす度に伊丹にどやされている。 たまに自ら進んで薫に捜査情報を提供する事もある。 浅倉禄郎 元東京地検検事であり、平成の切り裂きジャックと呼ばれた連続殺人犯。 薫と美和子の大学時代の親友であり、特命係に逮捕された後紆余曲折を経て殺害された。 事件発覚後も三人の間の友情は残っており、逮捕後はおろか死後も亀山夫婦の前にその姿を見せている。 神戸尊 薫の後任として特命係に配属された刑事。 お互い「右京と数年間コンビを組んでいた」という点で興味を抱いていたが、神戸配属時点で薫はサルウィン、薫帰還時点で神戸は警察庁と、会う機会がなかなかなかった。 S.21-20にて仕事を持ち込む形でやや強引に特命係に来訪、対面を果たしている。 師、杉下右京 曰く… 追記・修正の仕事 は 結果オーライ。 ではない やっぱり ではない。 亀山 薫 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 特命係のかぇめやまぁ~ -- 名無しさん (2017-10-01 14 11 45) 運転免許試験場のかぁめやま~ -- 名無しさん (2017-10-01 14 52 40) 「元」、特命係のかぁめやま~ -- 名無しさん (2017-10-01 15 11 50) いつか歴代相棒が揃う映画みたい -- 名無しさん (2017-10-01 19 13 48) 確か3代目相棒の人逮捕されちゃったんだよな。だったら無理っぽい -- 名無しさん (2017-10-01 21 10 48) ↑いや、逮捕はされてないから -- 名無しさん (2017-10-01 22 38 53) あ、現実世界の話ね -- 名無しさん (2017-10-01 22 39 20) 3代目のカイトくんは、役としては逮捕され刑務所。役者は突然の引退。両方の面で再登場は難しい。 -- 名無しさん (2017-10-02 00 23 03) 特命係の県庁所在地は松山さんよ~ -- 名無しさん (2017-10-02 12 44 04) サルウィン関係がないと難しいだろうなもう -- 名無しさん (2017-10-03 01 48 26) 亀ちゃんが「レベル4後編」で去ってしまうので泣かないようにしていたのだが、いたみんとの最後の会話で大泣きしたことを思い出した。「目撃者」では危うくサイコパスになりかけた子供を救っているところも評価してほしい。 -- 名無しさん (2017-10-03 10 04 48) 能力・特技で「最後の晩餐」や「琥珀色の殺意」のときの「味覚の鋭さ」も入れてほしい。 -- 名無しさん (2017-10-03 10 06 06) 姉がなまりまくったアンパンマン -- 名無しさん (2017-10-03 10 18 29) たまに右京さんが明後日の方向行きそうになった時の「こちらです」は水谷さんが方向音痴で本当に道間違えた時のやり取りと聞いた -- 名無しさん (2017-10-03 18 46 03) オリジナルも勿論好きだけど、公式の漫画版もあれはあれでいいキャラしてた。 何らかの形でまた右京とコンビ組んで欲しいなぁ -- 名無しさん (2017-10-03 21 06 24) 亀山と美和子の中の人は昔『D×D』というドラマで共演してたな -- 名無しさん (2017-10-05 00 52 27) ↑「虎之助!泣かすぞぉ~~~」が妙に気に入っていた。 -- 名無しさん (2017-10-05 10 02 55) 「名探偵登場」で -- 名無しさん (2017-10-05 10 04 27) 根本的な意味で右京の暴走を止められるのは、結局彼だけな気がする -- 名無しさん (2017-10-05 10 55 43) もし相棒が終わるとしたら、最後はこの人とのコンビで終わって欲しい -- 名無しさん (2018-04-01 18 34 39) ぶっちゃけ水谷さんとの不仲で役降りたから無理だろうねぇ カイトくんは役者引退したからともかくとして、事実神戸くんは出てるのに亀ちゃんは一切出てこないし -- 名無しさん (2018-04-09 01 34 59) 亀ちゃんは今は信濃のコロンボになっちゃったから・・・ -- 名無しさん (2018-05-31 01 57 56) 不仲説はデマとも聞いたが -- 名無しさん (2018-10-08 18 03 51) 亀山君の人情家のキャラが生きてるなあって思うのは予告された殺人とか赤いリボンと刑事とかかな -- 名無しさん (2020-10-04 18 13 53) 反町さんも交代されるらしいし、そろそろ原点回帰でこの人に戻ってきて欲しい -- 名無しさん (2022-02-04 08 48 12) 演者同士も刑事貴族の頃から名コンビだからこの二人じゃないと違和感が・・・ -- 名無しさん (2022-03-30 12 18 04) 【朗報】Season21で亀山薫復帰します!!! -- 名無しさん (2022-06-23 06 35 28) 亀山復帰ってことは相棒シリーズもこの代で最後になるのかな -- 名無しさん (2022-06-23 08 58 31) 水谷さんは年齢的に限界だから寺脇さん呼び戻して亀山+若手ってなる可能性が高くなった -- 名無しさん (2022-06-23 09 45 25) 刑事辞めたのにどうやって復帰するのか気になるな、一般人のままでは制限あるし。というか官房長が死んでたり、内村刑事部長が特命係にめちゃめちゃ優しくなってたりしてめちゃめちゃ混乱しそう。 -- 名無しさん (2022-06-23 12 46 26) ↑一応、出産とか介護とかの事情で一度退職した元警察官向けの「再採用制度」というものはあって、試験に受かれば現場復帰できる。現実なら亀山君は受験資格から確実に外れるが、色々とファンタジーな警察描写が多い相棒世界ならありうるかもしれない -- 名無しさん (2022-06-24 00 42 41) ↑の続き:あとseason 7の頃よりも特命係の能力がかなり多くの偉い人に知られるようになっているから、亀山君が「杉下右京のコントローラー」としての役割を期待されて、上層部の根回しで警察に呼び戻されるという展開はありそう -- 名無しさん (2022-06-24 11 11 18) 官房長が裏で根回ししてたとかもあるかも。後々戻ってきた時のために退職じゃなくて無期限休職扱いにするとかして -- 名無しさん (2022-06-24 11 41 51) 島根県の県庁所在地なんざだれも知らんわ -- 名無しさん (2022-06-24 22 22 56) サルウィンでの活動が一段落して日本に帰ってきたら事件に巻き込まれてって感じになるのかな -- 名無しさん (2022-06-24 22 28 41) そもそも右京さんなんてとぅくに定年退職してないとおかしいので細かいことは気にしちゃいけない -- 名無しさん (2022-06-25 13 33 58) 亀山君がサルウィンの正装っぽい服を着てる写真が公開されたけど、もしかするとサルウィンで現地の警察に就職して出世したのかもしれないと思った それで現地の警察から海外研修か人事交流みたいな形で、初期の冠城君みたいに「お客様」待遇で特命係にやってくるんじゃないだろうか -- 再雇用制度のコメントをした人 (2022-07-25 14 46 17) イタミンのようなノリで迎えようと思ったら… -- 名無しさん (2022-10-12 22 17 07) 薫ちゃんおかえり! -- 名無しさん (2022-10-12 22 32 24) 例のやり取りがあると思ったらそんな場合じゃなかった。まさかあんなスタートになるとは思わなかったしな···。 -- 名無しさん (2022-10-13 00 50 21) やる気出さないと...「元気を出せ!亀!!」なんて応援の気持ちを込めた悪口パンチを喰らわされちゃうよ...誰って?伊丹に...。 -- 名無しさん (2022-10-13 01 01 09) 亀山さん、まさかあんな形で復職するとは。それにしてもS21最初の事件、まさに「報恩と報復」がテーマだった。 -- 名無しさん (2022-10-20 04 02 35) 帰ってきて早々、殺人容疑をかけられるっさぁ亀ちゃん…イタミンにたっぷりイヤミを言われそうw -- 名無しさん (2022-10-20 18 05 09) 亀山復帰について追記した者ですが、なんか差し戻されてるな ノーコメントで差し戻されても何も改善出来ないので、もし自分の追記した内容に問題があったらコメントをお願いします -- 名無しさん (2022-10-21 19 38 44) ↑編集時のルール『ネタバレを嫌う人や権利者の方に配慮し、公開・発売されてから最低1週間はネタバレは控えてください。 ここで言う公開、発売とは、テレビ番組なら「放送」、連載漫画なら「掲載雑誌の発行」、商品なら「発売」、映画なら「封切り」などを指します。』 -- 名無しさん (2022-10-21 19 45 48) ↑理解しました。ネタバレの解禁期限を勘違いしており、ご迷惑をおかけしました -- 名無しさん (2022-10-21 22 20 04) 寺脇康文復帰のいきさつは数ヶ月も前の話であり、ネタバレでも何でもないので記述をサルベージしました。第3話の放映が終わり次第 -- 名無しさん (2022-10-22 04 18 02) ↑(途中送信) 第3話の放映が終わり次第、第1~2話についての記述もサルベージします -- 名無しさん (2022-10-22 04 18 47) ↑日付が10月26日になれば3話放映前でも追記OKですよ -- 名無しさん (2022-10-22 08 24 42) 復帰が決まってからも寺脇さんは「60になってMA-1着るんですよ(笑)」と散々自虐ネタを披露していたけど、日本人で一番フライトジャケットが似合うわやっぱり -- 名無しさん (2022-10-27 15 11 03) 復帰1、2回目で教え子を亡くしもう一人から事実上裏切られ、3回目で殺人の濡れ衣 またも昔の上司が不正に手に染めていた···メンタルボロボロ不可避の不幸が続き過ぎでしょ···。 -- 名無しさん (2022-10-27 21 04 14) 伊丹 「バカ亀、出戻り尊、元(内調の冠城)特命係も3(4人)体制とは偉くおなりですね警部殿亅こののやり取りを元日スペシャルにみたい -- 吉原和希 (2022-11-03 13 15 54) ↑亀山「お前どんだけ俺と神戸の追っかけしてんだよタタミ」伊丹「んだとこらぁ」こういうやり取りがあってほしいね -- 名無しさん (2022-11-03 13 17 09) トリオザ特命の亀山、神戸っていうイタミンをみたい -- 名無しさん (2022-11-03 21 06 59) 復帰してやっとこさほっこりできる結末の事件だったな -- 名無しさん (2022-11-03 22 20 21) 嘱託から警官への再雇用おめでとう -- 名無しさん (2023-01-01 23 45 32) 無自覚ながら芸術品の審美眼にちょっと長けてるっていう事実が発覚。 -- 名無しさん (2023-01-19 19 55 18) 奥さんは昭和45年11月12日生まれ -- 名無しさん (2023-07-17 16 40 57) 名前 コメント
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一般に歴史的なものと見られる社会的必要物質や制度などから一般に普遍的とられやすい倫理・道徳にいたるまですべての社会諸価値は、社会的関係に規定されることによって歴史的に変化するのである。あるものが社会的価値をもつのは、そのもの(客体)およびそれを評価する価値意識が一定の社会的関係のなかで社会的に存在しうることによっているからである。社会的関係が変化すればそこでの事物のあり様も価値意識も変化し、したがって事物の社会的価値も変化する。社会的価値の具体的あり様は旧い社会的関係のもとでとはまったく異なっている。しかしそうでありつつ、社会的価値の旧いあり方と新しいあり方とのあいだに共通性(同一性)が見いだされて同じ種類の事物に同じ評価が加えられるとき、その事物の社会的価値はそれが依存する総体的社会的関係の特殊性をこえているという意味で「普遍的」といわれる。もちろんこの意味で社会的価値が「普通」であるためには、具体的なあり方においては相互に異なる社会的関係それ、身の内に同一性が部分ないし一側面として存在するということが前提である。社会的価値の歴史的普遍性とは抽象的にいえばこういうことである。 亀山純生『人間と価値』158頁
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合計: - 今日: - 昨日: - 氏名 所属 職種 社会人経験年数 亀山千広 株式会社フジテレビジョン フジテレビジョン代表取締役社長、実業家 36年 経歴 1956年6月15日静岡県三島市生まれ。静岡県立韮山高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部を卒業。1980年、フジテレビ入社し編成部に所属。1986年から『タッチ』第4部をはじめ、ドラマやアニメの企画・プロデュースを手がける。1990年にテレビドラマを作る第一制作部に移り、月9などのテレビドラマのプロデュースを手がける。1997年、自らも最終話に出演した『踊る大捜査線』のヒットにより編成部に部長として復帰。2001年、編成制作局長に。2003年には、新設された映画事業局の局長に就任。2006年には執行役員、2010年には取締役、2012年には常務取締役と、フジ・メディア・ホールディングス取締役を務める。2012年、ベンチャーキャピタル事業の新会社「フジ・スタートアップ・ベンチャーズ」の代表取締役に。2013年、豊田皓の後任として、第9代フジテレビ代表取締役社長に就任した。 業務内容 日本のテレビ・映画のプロデュース、会社の経営 やりがい 見る人と創る人が一緒の気持ちになれたときすばらしさを感じる。 仕事への姿勢/考え方 映画の興行だけで儲けるというのは至難の業であるため、その後のDVD販売などで稼がなければ、制作費を回収できない。そのため映画そのものだけでなく、劇場公開後の展開を考えることもプロデューサーの重要な仕事であるという考え。企画を考えるときは点ではなく線で考えるスタイル。プレゼン能力を重要視している。 私生活 転機 大学在学中に映画監督五所平之助の書生を務め、映画製作を経験。 五所の助言によりテレビ業界を志す。 今後の目標 これからも「人々に愛されるもの」として、皆の暮らしに寄り添い、胸を張ってその名を誇れるテレビ局であり続けることと、「フジテレビという“窓”を開ければきっと何かがそこにある」と視聴者の皆に思ってもらえるように精一杯努める。 参考URL Wikipedia https //ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E5%B1%B1%E5%8D%83%E5%BA%83 亀山千広の名言 厳選集 – 名言DB http //systemincome.com/tag/%E4%BA%80%E5%B1%B1%E5%8D%83%E5%BA%83 フジテレビジョン ごあいさつ 代表取締役 亀山千広 http //www.fujitv.co.jp/company/message.html http //www.wasedasai.net/2006/feature/obog-interview3.html 感想① 私はよくネットの記事を読むのですが、たまたまフジテレビの亀山社長の記事が目に付いたので気になり調べてみることにしました。私も静岡生まれだったので、まず静岡県出身ということに驚きました。社長としてフジテレビを取り締まるだけでなく、ドラマや映画のプロデュースをなされていて感銘を受けた。また、人に伝える大切さをなにより重要視されている方ということがわかり、経営者やプロデューサーの大変さが身にしみた。 感想② 興味のあるメディアの話であること、また、自分の高校の先輩ということからこの方を調べようと思った。この方は経済学部を卒業しているのだが大学で学んだ内容自体は役立っていないといっていた。しかし一人で色々なことを考えたことや時間を有効に使ったことなど様々なことが財産になっていたともいっていた。大学で学んだことが直接将来の職業につながらなくてもその道の社長になることができるなど、自分の努力しだいでは色々な可能性が広がっていると感じた。職業については、TVのみでなくイベントなどにも通じるものがあると思うが、利用者が喜んでくれることはもちろん、創る側の伝えたいことをしっかりと見る側が感じ取れるようにすることが重要であることがわかった。どのような職業に就くにしろ、提供する側と利用する側のことをしっかりと考えられるようにしたい。 感想③ 出身高校の先輩だという縁があり興味を持ちました。フジテレビの社長さんだったということ以外は初めて知ることばかりで、映画プロデューサーもしていたというのは新しい発見でした。ビジネスや技術だけでなく、テレビ業界を担うにあたっての理念もしっかりしていて、視聴者の立場も忘れていないところに感銘を受けました。後輩としてもしっかりと相手への思いを忘れず信念を持って仕事に取り組む姿を見習いたいです。 関連記事 【登録タグ 】 選択肢 投票 この人材像に憧れる (0) この人材像に共感する (0) この記事が役に立った (0) 名前 コメント
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亀山の<宗教論>の著作は、扱う対象によって大きく二つに分けることができる。ひとつは、オウム真理教の地下鉄サリン事件をきっかけとして、現代日本における「宗教(“宗教ブーム”)」の位置付けと、そこから近代化された宗教がはらむ問題について考察した『離脱願望』、『現代日本の「宗教」を問い直す』など。もうひとつは、唯物論を理論的立場としつつ、日本思想史における法然、親鴬の思想と意義の方位を明らかにしようとする『中世民衆思想と法然浄土教』である。前者と後者は扱う対象は違えども、<価値論>で考察された欲求(欲求的価値)の深化と検討が行われている。一遍思想 や中世東国武士と浄土教の関連 など、後者に関連する論考のほうがより早くから長期にわたって続けられているが、ここでは前者を先に扱うこととしたい。 +亀山の中世関連著作 亀山純生「一遍思想の構造とその歴史的意義--一遍の民衆性に関連して」東京農工大学一般教育部紀要 (二一)、一~二一頁、一九八四年 亀山純生「東国武士と法然浄土教--谷保の住人津戸三郎の場合」東京農工大学一般教育部紀要 (二三)、九~三三頁、一九八六年 など 一九九五年三月に起きた地下鉄サリン事件へのレスポンスとして、翌年に刊行された共著が『離脱願望-唯物論で読むオウムの物語』である。同書は、「八○年代にその爛熟の頂点に達した日本型の大衆社会」=「企業主義的大衆社会」のもつ、能力主義・競争主義を特徴とする強い抑圧構造と、それが必然的に生み出した離脱願望が、新新宗教のなかでもとくに現実否定的・現実離脱的な色彩が濃く、「解脱」・「悟り」・「超能力」を説くオウム真理教と結びついた、という見取り図のもとで、一連のオウム事件の原因と背景を、九人の著者が、それぞれ異なるアプローチを行っている 。 (後藤道夫「企業主義的大衆社会からの離脱」『離脱願望』労働旬報社、一九九六年、九~三一頁) 田平暢志は、オウム信者のみならず、日本の宗教全般における「近代的な主体性の欠如」を指摘し、またこの点からオウム事件を「近代化の過剰」による宗教の空洞化状況から説明する山折哲雄を批判している。(田平暢志「現実認識と宗教的知性の乖離」同書、一七〇~一九〇頁) これに対して、亀山は、近代の未成熟でも近代の過剰でもなく、「近代的」宗教観、そのなかに日本において伝統的に引き継がれている「日本的聖俗二元論」による「宗教的無責任構造」こそ、オウム問題を解明する鍵であるとする 。事件後、宗教界は、オウム事件を宗教に関係のない世俗の社会問題とみて、政教分離原則をたてに、それに責任的に対応しようとせず「沈黙」したが、もともと宗教と社会は、このように二元的に区別される別領域ではなく、宗教は、それが意味あるためには現実社会に責任的に関与しなければならない。オウム事件はきわめてネガティブな形で、宗教と社会の独自のつながりを実証した点で、「日本的聖俗二元論」の破綻を示しているとする。これをふまえて、亀山は宗教にたいしては「世俗的原理の独自性を端的に承認」したうえでの現実社会への主体的・責任的関与の道を、社会にたいしては宗教を排除しない「市民社会の宗教倫理」の確立の道を提起する。 亀山の提起は「戦後民主主義と政教分離原則をも否定的にとらえる」 とみなされもするが、むしろ、宗教の公的性質の剥奪・私事化が、歪んだ「宗教」を数多く発生させる構造を備えているという指摘として捉えたほうが生産的である。なぜなら、宗教の公的性質の剥奪・私事化に関する問題意識こそが、その他の<宗教論>の著作でも扱われるテーマ、とりわけ「“一ヒラ文化”としての宗教」 へとつながるからである。 +「“一ヒラ文化”」 亀山は、欲求論の立場から、諸個人におれる、それぞれ多様な欲求(=疎外・欠如の様態)に対応するものとしては、多様な宗教のみならず非宗教もあり(欲求の解決は、宗教的な解決だけでなく、非宗教的な解決も可能だからである)、どれが真の宗教か、あるいは真の生き方か、を問うことの無効性を主張する。「宗教は、現代の諸個人の問題を解決する現代人の社会的文化的活動の一環であり、あえて強調すれば、現代においては、宗教は事実的にも価値的にも“一ヒラ文化”である」(宗教、一二八)と主張される。 “一ヒラ文化”としての宗教という位置付けは、宗教の軽視ではなく、宗教の公的性質を賦活させる効果を見込まれてなされている。そうであるからこそ、この視角は、プロテスタンティズムに範をとる「〈近代主義的宗教観〉」に対置される。つまり、「信仰をもっぱら心の問題へと内面化し、外面的行為のレベルで呪術や魔術的性格を否定する度合いが高ければ高いほど、より純粋で本来の形態に近い高次の宗教と見な」す宗教観である(宗教、一二九)。 この〈近代主義的宗教観〉は、『現代日本の「宗教」を問い直す』で亀山が指摘する、現代日本の宗教をめぐる幾つかのディレンマ の一因にもなっている。近代の啓蒙主義思想は、「近代化=合理化=無宗教化」という図式を標榜し、日本でも従来の基本的宗教観の根底をなしてきた。だが、近代化の達成による“豊かさ社会”での宗教現象の増加、特に前近代的な低次の呪術宗教の氾濫や、“近代の申し子”たる、主に六〇年代生まれの“神秘好き”は、この図式を決定的に破綻させた。亀山は、これらの状況と、神仏並行信仰など、諸宗教の雑居あるいは宗教的多元性をふまえ、日本の宗教の特徴を「“神仏好き”の無宗教(「宗教」嫌い)」(宗教、二五)という言葉でまとめる。“神仏好き”に嫌われる「宗教」こそが、公的性質を帯びた「宗教」である 。 +現代日本の宗教をめぐる六つのディレンマ 亀山が同書で挙げている、宗教をめぐる六つのディレンマは以下の通り。一、宗教への期待と不信・警戒。二、信仰の自由の聖域性と公的規制。三、政教分離と宗教教育論。四、“真の宗教”の雲散霧消。五、近代化と“無宗教化”の矛盾。六、“神仏好き”の無宗教。 +「宗教」の、公的性質 亀山は、丸山輝男(「仏陀の教えとオウム真理教」『プレジデント』一九九五年七月号)の議論を参照しつつ、以下のようにオウム真理教の、犯罪という形で示された「宗教」的側面についてまとめる。オウム真理教事件が発覚した時、マスコミや世論は、その凶悪性とともにそれが宗教団体の犯罪であることに驚愕した。そして、オウム真理教は真の宗教ではなくニセ宗教だと非難した。しかし、オウム真理教をニセ宗教と批判することは「伝統的宗教も含めて宗教における真とニセの区別の基準はどこにあるか?」を問うことになった。だが、宗教界は沈黙を続け、議論は泥沼化した。オウム真理教はまちがいなく宗教であったし、その犯罪はまさに「宗教」であるがゆえに起こりえた。そう考えなければ、教団の関係者(信者)たちが犯罪を“善行”と思いこんで実行するに至ることは理解できない。(宗教、一八~二〇頁) オウム真理教および麻原彰晃がどのように、彼ら自身の公的性質を自認していたかについては、大田俊寛『オウム真理教の精神史 ロマン主義、全体主義、原理主義』春秋社、二〇一一年が総覧的にまとめている。 宗教については個人の内面的選択にまかされるべきでありだとする“放任型”の〈近代主義的宗教観〉とともに、『現代日本の「宗教」を問い直す』で批判されている宗教論が、〈認識論主義的宗教論〉である。 亀山は、認識論主義宗教観を、〈“実践としての宗教”観〉を対置することで定位する。両者の相違点は、客観的認識を基軸にして宗教を理解するのか、諸個人の生の営み・実践を基軸にして理解するのか、いいかえれば,生の営みを認識の真偽・科学的認識を原理として理解するのか、諸個人の欲求や生の意味づけそれ自体を原理として理解するのか、である(宗教、三四頁)。通俗マルクス主義 が採用している宗教観とも言い換えられる。 +通俗マルクス主義 が採用している宗教観 注意すべきは、これがマルクス主義の宗教論への批判であって、マルクスの宗教論への批判ではない点である。亀山の批判対象は一貫して従来の日本の通説的、教科書的な、“宗教=アヘン”論として展開されたマルクス主義であり、「既成仏教など宗教をもっぱら封建的地主階級の利害を代弁し、民衆の主体性を眠りこませて絶対主義的天皇制に呪縛する毒薬的“アヘン”と見なした」(宗教、一九八)一面的なそれである。 認識論主義宗教観への批判点は大きく二つ。一つは、科学の健全な発達や社会の正常な近代化とともに宗教は死滅するという枠組みを温存すること。これにより、現代日本の宗教現象、神秘好きや呪術的宗教などの意味を内在的に分析する視角を逸し、科学教育の不徹底、復古主義的反動イデオロギー、一時的な歴史的退行現象として「ブラックボックス化」させる(宗教、三五)。もう一つは、科学的合理的認識に(宗教の代わりに)万能性を与えることは、世界の客観的認識の原理が価値や生の意味づけの原理と混同されることとなる(同)。認識論主義 は近代主義的宗教観と軌を一にして宗教ディレンマに陥ってしまっている。 これらの批判点をふまえて、亀山は、「宗教を現代人の生身の生の営みとして、生の意味づけ・価値領域の地平で分析する“実践としての宗教”観」(宗教、三六)への転換を促す。“実践としての宗教”観は、フォイエルバッハの唯物論的宗教論 にもとづいている。つまり、人間を身体的活動(感性的主体)の地平から理解すること。宗教を「生活の術die Kunst des Lebens」ととらえ、その本質を、諸個人が超越者に何を期待し超越者がどう応答するかの視点から分析すること。宗教は「疎外された実践」であり、それゆえに人間の生にとって肯定的否定的な両義性をもち、社会的イデオロギーと密接に連関していること 。以上の事柄が、宗教の分析枠組みとして求められる。 +認識論主義批判の射程 付言すれば、亀山の認識論主義批判は、宗教理解のあり方に限定して用いられており、他の分野(社会変革論など)へは適応されていない。ただし、従来のマルクス主義が、実践を重視するなかで、世界観的にも社会・世界分析の点でも正しい認識(科学的合理的認識)を、変革主体の基本的要件と見てきたこと。それが科学的社会主義の神聖化と結びついたことが、認識論主義的宗教論の背景的基礎をなすとは考えられている。(亀山純生「唯物論的宗教論と認識論主義--伊藤敬氏の"批判"に応えて」唯物論と現代 (二五)、七七~九一、二〇〇〇年) +なぜ唯物論の宗教論が採用されるのか 通説的な唯物論はむしろ認識論主義にもとづく宗教観の立場をとり、科学的認識・科学的世界観を基準にして宗教を虚偽意識・虚構の世界と見なす。それにもかかわらず、理論的立場として唯物論が採用されるのは、特定の宗教や自文化の宗教観の方法論的前提を排除するためには、多様な宗教や他文化の宗教観をも包括しうる第三の共通尺度が必要であり、その尺度は論理上、宗教を前提せずに人間・文化・社会を包括する射程の広さを有することが求められるためである(宗教、三一)。 “一ヒラ文化”としての宗教とともに、“実践としての宗教”観は、宗教が行為システムとして、それを信仰する人の生と社会とのあいだにどのような意味づけと関連性を構築するか、その機能と効果に焦点を当てた視角であるといえる。その視角にあればこそ、亀山は以下のような「価値相対主義」の立場に立つ。「神を信ずる人とマルクス主義を信念とする人との間に、生の原理の相違それ自体によって価値的序列は生まれず、生き方の真偽があるわけでない」。 (亀山純生「唯物論的宗教論と認識論主義--伊藤敬氏の"批判"に応えて」八五頁。この発言がクリティカルなものとなるのは、宗教と唯物論が「価値的に平等ではない(唯物論は宗教に勝る)」ことを前提とする範囲においてである) この社会システム論的な視角は、日本思想史における法然、親鴬の思想の扱い方においても見られる。『中世民衆思想と法然浄土教』の序章では、「中世浄土教の思想史的研究への基礎視角」という表題のもとに、哲学者・三木清と歴史学者・服部之総の親鸞研究の批判的検討がなされている 。その検討を通して、宗教的自覚者としての親鸞か、社会的解放者としての親鸞かという親鸞像の選択ではなく、弥陀の本願の絶対化の徹底のなかで、隠然とした力で人々を支配する構造(それは正統派浄土教 をも含む)への抵抗を展開した親鸞の分析がなされる(中世、三六六)。 +『中世民衆思想と法然浄土教』の整理 図式的に整理すれば、亀山は服部の史的唯物論の立場を認識論主義と見なしている(中世、三五)。ここでも、ほとんどのマルクス主義的宗教論において、宗教が、本質的に幻想的虚構の世界として、専ら自然・社会・人間の非科学的・非合理的認識という側面から理解されていることが疑問視され、感性的人間による「生活の術(わざ)としての宗教」への転換が、中世民衆の浄土教理解にとって、新たな視点を開くことが可能になることが提起されている(同、五〇)。 亀山は中世史学の知見をふまえ、。法然や親鸞によって提唱された専修念仏思想は、必ずしも当時の民衆に広く受容されたわけではなく、むしろ異端として弾圧を被らなければならなかったこと。親鸞が生涯かけて緊張関係をもち対決したのは、彼の認識では聖道門・「旧仏教」、専修念仏を弾圧する限りでの朝廷・幕府・地頭等であったとしても、客観的には、荘園において新たに中世的支配体制を構築しつつあった「顕密体制」・正統派浄土教であったことを明らかにしている(中世、三二一)したがって、どのような悪人も念仏を唱えれば往生できるという他力易行の提唱は、同時に正統派浄土教の諸行往生論を前面に立てながら階層往生を言わず、ただ機根に応じた多様な仏道修行の主張として見なすのが妥当である(同、一五八)。 現代における宗教論と、法然・親鸞の浄土教理解において、共通するのは、宗教を信仰する人の生と社会とのあいだの意味づけの機能として捉える視角である。そこにおいて価値とは真偽の基準と同じではない。私たちは善悪の絶対的基準、真偽の一挙的展望を、宗教(ならびに唯物論)を介して手に入れられるものとして欲するべきではない。宗教の機能とは、自己の受苦についての徹底的な直視と省察が、現実的生の諦め・放棄ではなく、逆に「現実的生と活動の価値的肯定とそれへの種極的なエネルギー導出」(中世、五六)へとつながる面に、基本的性格がある。 このような亀山の「宗教」の機能の位置付けにもまた、〈価値論〉で概観してきたデカルト=野田=亀山の、生の経験による「試し」の実践と思索がその裏面にあることを読み取ることができるだろう。ただし〈宗教論〉においては、くり返すとおり、「試し」の実践と思索を内面の問題に限定しないところにあるのであり、デカルトにおいては希薄であった「人間が社会的存在として歴史的過程の内に現存するということ」を補完しているといえるだろう。 ■ ここでなお、付言すれば、亀山が深く言及していない、「自然及び社会に関する科学のどのような進歩によっても満足させられることのできぬ宗教的欲求」という、三木の独特の「パトス的人間論」 と不可分に結び付いている欲求についての考察は別途、必要なものと思われる。三木のパトロギーが不可避的にもつ人間存在の身体的な世界内存在性から言っても、個の内面が、個をそこに緊縛している歴史的社会、なかんずく身体的欲求から切断された真空の世界としてあることは、ありえない(宗教、三四)と亀山は指摘するが、恍惚において主観的にはまさに真空の世界としてあるからこそ「無」や「空」の思想がいまもなお根強く残っているのではないだろうか。〈私は誰かに夢見られている夢ではないと、なぜ言えるのか?〉 また、霊術によって一挙的に自己を切り替える人格的変身への期待(宗教、四九)は、超能力・オカルトや神秘現象への関心や、能力主義への抵抗としてのみ位置づけられるものではなく、〈食〉 や、原生自然との対峙 など、広域かつ多様なあり方をもつ元型的欲求の一つの様態としても位置づけられる。 これら、〈「無」への欲求〉や〈変身=転成transformationへの欲求〉の考察が必要であるのは、それらが、亀山が位置づける快・幸福という「欲求的価値」の範囲外にあるばかりではなく、利己主義的欲求(私的所有、および自己保存)とも異なるためであり、また、〈風土論〉で取り上げられる「ありふれた自然の意義」を補強する上でも有効であると考える 。 +三木の「パトス的人間論」 三木は、処女作『パスカルに於ける人間の研究』(岩波文庫、一九八〇年)以来、人間的生を「パトス的なもの」として、不安の内にあっての揺れ動きとして描いている。三木によれば、人間の存在は宇宙全体に対しては取るに足らない微小な存在であるが、同時に虚無に比すれば一個の世界であり全体である。このような人間の様態を、三木は全体と虚無との中間的存在として捉える。パスカルのいう人間の「偉大さ」と「惨めさ」は、この全体と虚無の間にあって絶えずさまよう中間者としての様態にその根拠をもつ。この「パトス的な人間」、「中間者としての人間」という思想は三木の人間学のなかで多様な形で展開され、遺稿『親鸞』まで一貫している。
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[名前]亀山 薫 [出展]相棒 [演優]寺脇康文 [性別]男 [年齢]1966年7月23日生まれ [一人称]俺 [二人称]呼び捨て、○○さん、あなた [三人称]あいつ、あの人 警視庁組織犯罪対策部特命係員。階級は巡査部長。 昭和41年7月23日生まれ。実家は新潟県で造り酒屋を営み、父親は市議会議員も務める。 野球でのスポーツ推薦で城南大学法学部法学科に進学。妻の美和子は大学時代の同級生であった。 大学を卒業して警視庁に入庁、刑事部捜査第一課入りを果たすが、指名手配犯を捕まえようとして逆に人質にされるという失態を起こして特命係に追いやられる。 S.1では一時、警察庁長官官房付として警察庁に出向していたほか、S.2では特命係復活までの間に警視庁の運転免許試験場、S.3では所轄署である麹町東署の刑事課捜査一係(強行犯係)に勤務した経歴を持つ。 S.5最終話では懲戒免職寸前に追い込まれるも、地方公務員法を逆手にとった右京の計画によって懲戒免職を免れて同時に事件が闇に葬られることも防いだ。 服装はMA-1タイプのフライトジャケットにトレーナー、チノパンの組み合わせがほとんどで、査問委員会にもその格好で現れるほど。 特にジャケットは同じように見えても違うワッペンがついている数着を使い分けており、かなりのマニアであることがうかがえる。 ただ、場に応じてスーツを着る場合もある。 「特命係の亀山」と呼ばれることを特に嫌っていた。元喫煙者でコーヒー好き。 子供好きでもあり、子供と接すると一緒に遊んだり世話をしたりする。苦手なものはひじき。 [能力] 野球のスポーツ特待生として推薦で大学に進学できたほど運動神経は良い。 その分いわゆる「頭を使う」事はやや苦手とするが、最近では右京の雑学を若干ながら吸収しているような言動も見受けられる。 幼少期から昆虫に造詣が深く、その知識は虫マニアとも語り合えるほどで右京以上の知識を誇る。 味覚および嗅覚がかなり鋭く、事件の凶器発見に貢献したりワイン評論家を驚かせたりした。 また勘も非常に鋭く、「思い出したように出る神がかりに近いヤマカン」で事件の解決に大きく貢献する時が稀にある。 さらに何故か幽霊と縁があるらしく、S.3の最終話では『全裸の女性の幽霊』を目撃したのをきっかけに白骨死体を発見した。 [性格] お人好しで、腰が重いわりに口が軽い。 警視庁内で唯一、右京と長時間一緒に居ることが出来る人物。 当初は右京の強引さや策略に騙されたり振り回されたりして違和感を抱いていたが、右京の心情や思慮に触れる中で良き理解者となった。 以下、多ジャンルバトルロワイアルにおけるネタバレを含む +開示する 亀山薫の本ロワにおける動向 初登場話 022 光と亀 登場話数 3 スタンス 対主催 死亡話 070 Blood bath キャラとの関係 キャラ名 状態 呼び方 二人称 関係・認識 初遭遇話 杉下右京 仲間 右京さん 右京さん 相棒 未遭遇 稲田瑞穂 仲間 瑞穂ちゃん 君 同行者 022 光と亀 上田次郎 友好 上田さん 助ける 070 Blood bath 東條悟 中立 お前 沙都子を殺害した人物 070 Blood bath ミハエル・ギャレット 中立 お前 沙都子を殺害した人物 070 Blood bath 由詑かなみ 友好 かなみちゃん 助ける 070 Blood bath シャドームーン 敵対 お前 殺害される 070 Blood bath 踏破地域 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 A ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ B ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ C ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ D ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ E ■ ■ ■ ■ ■ □ ■ ■ ■ ■ F ■ ■ ■ ■ □ ■ □ ■ ■ ■ G ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ H ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ I ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ J ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ E-6北部→F-7図書館内→F-5公園
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山口県下関市中之町の旧県社 別表神社 亀山八幡宮(かめやまはちまんぐう)をお訪ねしました。 実質的に長門国三宮だったという説があります。 所在地 山口県下関市中之町1-1
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吉田傑俊・下崇道・尾関周二編『「共生」思想の探求』(二〇〇二年)の「はじめに」で述べられているように、二〇〇〇~二〇〇一年、「日中・共生シンポジウム」での共生思想を理論的・実践的に探求する、日本と中国の哲学・社会科学研究者たちによる共同研究報告とその検討が行われた 。奇しくも、二〇〇一年九月にはアメリカで同時多発テロが起き、世界の政治的・経済的・文化的な危機意識が高まった時期である。その背後には、アメリカンスタンダード(市場原理主義)を唯一の尺度としたグローバル化は、貧富の差を拡大し、それに基づく国家間の政治的・文化的対立の激化を招いてきた状況があった。 グローバル化時代の必然的な流れとして、政治的・文化的差異を認め合うことを意味する包括的な概念、〈共生〉は希求されることとなったが、包括的であるがゆえに、抽象的で曖昧な概念である。共生とは何か。どのようにその内実を考えていったらよいのか。その具体的展開として、同署では日本と中国の学者間で共生が模索・検討されている。 〈共生〉の思想史的な位置づけを問題とする、第二部「日本と中国における共生思想の展開」において、仏教思想における〈共生〉思想の展開として、亀山は「共生理念の深化と仏教思想の“参照点としての意義”」(共生、 )を提起する。「参照点としての意義」とは、仏教思想をはじめとする東洋思想の評価に関しては、それらの短絡的な賛美に終わるのではなく、「現在の環境問題解決のための思想的課題にどんな論点を理論的に提示するか」(共生、 )にあくまでも着目する視角である。ここでは、共生の語の“氾濫”であり、(中世日本において正統派浄土宗がその機能を果たしたような)人々を隠然とした支配するイデオロギーとして機能することが憂慮されている。現代の共生思想を深めていく上での部分的なヒントと環境思想の豊富化の契機として、ある思想がどのような機能と効果を果たしうるのか、という視角は、〈宗教論〉における、宗教を行為システムとして位置付け、それを信仰する人の生と社会とのあいだにどのような意味づけと関連性を果たしうるのかという視角と重ねて読むことができる。「参照点的意義」は、『環境倫理と風土』 他、「地域再生のコンセプトとしての風土の意義」 、『〈農〉と共生の思想』 などにおいても、用いられる述語であるが、〈宗教論〉、そして、それを準備した〈価値論〉をふまえるとその意義を位置づけやすい。 +「参照点的意義」を論じることになった背景 一九九七年四月と、一九九八年一二月にも、中国・杭州大学日本文化研究所では、国際シンポジウム「東方伝統環境思想的現代意義」(東洋の伝統的環境思想の現代的意義)が開催されている。このときにすでに、東洋思想の短絡的賛美に対する危惧の萌芽が読み取れる。詳しくは、農山漁村文化協会編『東洋的環境思想の現代的意義 杭州大学国際シンポジウムの記録』農文協、一九九九を参照。 +「参照点的意義」のさまざまな使われ方 第6章「グローバル化時代の風土的環境倫理の射程」では、日本的自然観の現代化と参照点として江戸のリサイクル・システムなどがあげられている。 また、現代の環境思想・環境倫理における東洋伝統思想賛美傾向を批判し、「イデオロギー的意義」と「参照点としての意義」を区別することによって、現代に有意義な東洋伝統思想の発掘を提起するという観点は、「東洋思想からの人間・自然関係理解への寄与の可能性」(尾関周二編『エコフィロソフィーの現在』大月書店、二○○一年)でもとりあげられている。 脱近代の〈農〉的共同態は、前近代的農村共同体への回帰ではなく、市場社会を前提としグローバルな交流の時代にある現代における共同体のあり方を模索するうえでの参照点としての有効性が提起されている。「(農村共同体への注目が)近代的共同体論の意義とその理論的陥穿の確認抜きになされるならば、一方では伝統的共同体への歴史的回帰論となり、他方では農村共同体の近代主義的評価(伝統的な農村共同体は、すでに近代的共同体の質を担保していた)に陥る」(農、二九一)。 亀山は参照点的意義において、仏教思想を意義づける。亀山の問題意識のひとつには、人間と自然の共生を考察するさいに、「どこにでもある」「ありふれた自然」を保護しなければならない説得的根拠の解明がある。この問題意識は桑子敏雄 とも共通しており、身体への着目がなされるところが共通しているが、詳しいアプローチは異なる。『共生』のなで、亀山は「縁起説」で示される人間-自然の相互連関と相互変容、「本覚思想」で示される「コミュニケーション関係・自己を写す自然、コミュニケーションの身体性、または身体的響感関係にある自然」(共生、 )に着目することで、ありふれた自然保護の意義を位置づける 。 +「どこにでもある」「ありふれた自然」の保護の説得的根拠の解明 『風土』第二章において亀山は、「共生が固有の社会的理念たりうるのはいかなる意味においてか」と問い、共生論の基本視点は「人間と自然との関係をコミュニケーション関係として理解する」ことであると主張する。そして「共生すべき自然」とは客観的自然一般ではなく、「人間の生に関わる実践の対象としての自然」「価値的自然(よき自然)」であるが、「よき自然」とは他の生物や生態系の豊かな存続を不可欠の要素として含むわけであるから、共生という視角は「広義の人間中心主義の立場における自然中心主義」「自然中心主義を理念とする人間中心主義」であり、環境倫理を混迷させている両主義の二項対立論を乗り越える視座を提供するとする。 ここで、「コミュニケーション関係として理解する」ことの内実は細かく考察されているわけではないが、続く第四章「風土的環境倫理の骨格と基礎論点」のなかで、風土が注目される理由として、価値的自然としての「保護すべき自然」は、地域によって異なる価値観や文化が刻印されていることが説かれていることから、「どこにでもある」「ありふれた自然」の保護の説得的根拠の解明が、継続して問題意識にあがっていることが読み取れる。亀山が風土論を展開するにあたって、「人間を原理的には、共同関係において存在する文化的な身体的主体ととらえ、そのような人間が根源的には自然に依存するととらえる」フォイエルバッハの人間学的唯物論を理論的立場とすることも、同様である。(フォイエルバッハの引用には、〈価値論〉、〈宗教論〉でくり返してきたとおり、〈受苦、窮迫の単位としての主体〉のニュアンスが同時にこめられている) この身体性への着目は、すでに見てきたように、〈宗教論〉の基盤をなすフォイエルバッハの唯物論的宗教論を継承してのものであるし、それが「参照点的意義」という吟味のための視角に立ったうえでの着目である以上、亀山が単に生活的自然を五感と身体で受けとめることの重要性を言っているのではなく、その経験を理論的に吟味するプロセス、および、さらに体験の中で体験を吟味する理論を再吟味するという、〈価値論〉で扱われた双方向の「試し」 の往復にこそ力点があるといえる。その力点を見誤れば、なぜ『風土』第五章においては風土性と景観が、合意形成において果たす意義が大きく詳細にとりあげられるのか不明瞭となるだろう。 +なぜ和辻風土論は批判されるのか 和辻の風土概念を亀山が批判するのは、それがある地域における自然と文化と人間の全体性に関する理論的枠組みを提示しつつも、それが「人間の自己了解」へと一挙に置換されることによって〈価値論〉で言われるところの吟味、「試し」の機会を逸することによる。 最後に、亀山の〈価値論〉、〈宗教論〉、〈風土論〉のテキスト内で共通して参照されている思想家としてはフォイエルバッハをすぐにあげることができるが、デカルトも併行させた読解の必要性をあらためて提起したい。生活者の社会的生活実践に内在し、そこにあらわれる主体性の契機を、理性と感性ともどもにすくいだし、構築し、随時変更を重ねていくという行程(つまり、「試し」)への執着は、デカルトの影響なしには考えにくいものだからである 。今後、より私のテーマ―環境プラグマティズム、食―と関連した考察を重ねたい。
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[名前]亀山 薫 [出典]相棒 [演優]寺脇康文 [性別]男 [年齢]1966年7月23日生まれ [一人称]俺 [二人称]呼び捨て、○○さん、あなた [三人称]あいつ、あの人 警視庁組織犯罪対策部特命係員。階級は巡査部長。 昭和41年7月23日生まれ。実家は新潟県で造り酒屋を営み、父親は市議会議員も務める。 野球でのスポーツ推薦で城南大学法学部法学科に進学。妻の美和子は大学時代の同級生であった。 大学を卒業して警視庁に入庁、刑事部捜査第一課入りを果たすが、指名手配犯を捕まえようとして逆に人質にされるという失態を起こして特命係に追いやられる。 S.1では一時、警察庁長官官房付として警察庁に出向していたほか、S.2では特命係復活までの間に警視庁の運転免許試験場、S.3では所轄署である麹町東署の刑事課捜査一係(強行犯係)に勤務した経歴を持つ。 S.5最終話では懲戒免職寸前に追い込まれるも、地方公務員法を逆手にとった右京の計画によって懲戒免職を免れて同時に事件が闇に葬られることも防いだ。 服装はMA-1タイプのフライトジャケットにトレーナー、チノパンの組み合わせがほとんどで、査問委員会にもその格好で現れるほど。 特にジャケットは同じように見えても違うワッペンがついている数着を使い分けており、かなりのマニアであることがうかがえる。 ただ、場に応じてスーツを着る場合もある。 「特命係の亀山」と呼ばれることを特に嫌っていた。元喫煙者でコーヒー好き。 子供好きでもあり、子供と接すると一緒に遊んだり世話をしたりする。苦手なものはひじき。 [能力] 野球のスポーツ特待生として推薦で大学に進学できたほど運動神経は良い。 その分いわゆる「頭を使う」事はやや苦手とするが、最近では右京の雑学を若干ながら吸収しているような言動も見受けられる。 幼少期から昆虫に造詣が深く、その知識は虫マニアとも語り合えるほどで右京以上の知識を誇る。 味覚および嗅覚がかなり鋭く、事件の凶器発見に貢献したりワイン評論家を驚かせたりした。 また勘も非常に鋭く、「思い出したように出る神がかりに近いヤマカン」で事件の解決に大きく貢献する時が稀にある。 さらに何故か幽霊と縁があるらしく、S.3の最終話では『全裸の女性の幽霊』を目撃したのをきっかけに白骨死体を発見した。 [性格] お人好しで、腰が重いわりに口が軽い。 警視庁内で唯一、右京と長時間一緒に居ることが出来る人物。 当初は右京の強引さや策略に騙されたり振り回されたりして違和感を抱いていたが、右京の心情や思慮に触れる中で良き理解者となった。 以下、多ジャンルバトルロワイアルにおけるネタバレを含む +開示する 亀山薫の本ロワにおける動向 登場話 022 059 070a 070b 登場話数 3 スタンス 対主催 初期支給品 シアン化カリウム@バトルロワイアル+外れ武器三点セット(三味線糸@バトル・ロワイアル、小型液晶テレビ入りポテチ@DEATH NOTE、タオル@現実) キャラとの関係 キャラ名 状態 呼び方 二人称 関係・認識 関係話 杉下右京 仲間 右京さん あなた 相棒 未遭遇 稲田瑞穂 瑞穂ちゃん 君 同行者 022 059 070a 070b 上田次郎 友好 上田さん 助ける 070a 070b 東條悟 中立 お前 沙都子を殺害した人物 070b ミハエル・ギャレット 沙都子を殺害した人物 070b 由詑かなみ 友好 かなみちゃん 助ける 070b シャドームーン 敵対 お前 殺害される 070b 踏破地域 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 A B C D E F G H I J E-6北部→F-7図書館内→F-5公園
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